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原発と建築家

原発と建築家: 僕たちは何を設計できるのか。再生可能エネルギーの未来、新しい時代の建築を考えた。原発と建築家: 僕たちは何を設計できるのか。再生可能エネルギーの未来、新しい時代の建築を考えた。
(2012/03/09)
竹内 昌義、松隈洋 他

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建築家集団「みかんぐみ」の共同代表である竹内昌義が、原子力発電やエネルギーに関する
専門家にたいして行ったインタビューを纏めたものです。
もともと東日本大震災後、twitterなどで反原発について発言をされていた、
そのことが基になって、本書の企画になったようです。

近代建築史家、元原子炉格納容器設計技術者、前福島県知事といった震災以前から原発問題に
関わっていた専門家だけでなく、スマートグリッドやコージェネレーションシステム、再生可能
エネルギーなどの専門家にもインタビューをしており、「単なる原発への反対表明としてだけではなく、
次への希望も感じながらお読み頂けたら幸いです。」という著者の考えがよく表れています。

最後に「今、私たちに必要なのは、問題があることを認識し、自分で情報収集して考える、
そして考えたことを人と共有することだと思う。そうしていくと社会の根幹の部分の成り立ちをも
考えなくてはいけない。」と書かれています。

非常に重要だが、当たり前のこと、改めて考えさせられました

[SHIN建築事務所]

二川幸夫 日本の民家

日本の民家パンフレット

建築写真の大御所 二川幸夫が撮影し、1957年より59年に 発行された「日本の民家」
280点の写真から72点を選び出し、最新のデジタル出力技術で新たにプリントして紹介されています

これらの写真を じっと見つめていると 私たちは何を失ってしまったのか
改めて、考えさせられてします
蔵王村民家の妻破風



  左は出展作品の1つ
  蔵王村民家の妻破風です
  これを見たとき 「もうびいでぃっく!」
  と心の中で叫んでしまったのは、
  私だけでしょうか。。。
[SHIN建築事務所]

完成です!

山梨に完成しました 住宅です
木造2階建て、約45坪です

2年前から 設計開始し、途中延期などあったので ようやく完成しました
敷地の好条件を生かし、南側に縁側を大きく設けてました
とても気持ちよいですよ

夏でもクーラーに頼らなくても大丈夫
冬は、蓄熱暖房で暖かかく暮らせるでしょう
屋根には 今流行の 太陽光発電を載せています

ご主人の感想は、「新居の住み心地は、バッチリです」 だそうです^^
そういって頂けると、嬉しいですねぇー

K邸



[SHIN建築事務所]

旧岩崎邸

岩崎邸01

台東区池之端にある旧岩崎邸です。
現存する洋館、大広間(かつての和館の一部)など、岩崎財閥3代の岩崎久弥によって、
ジョサイア・コンドルの設計で、1896年(明治29)年に完成しました。
当時の岩崎邸は、15,000坪の敷地に20棟以上の建物があったということですから、
それはもう ものすごいお屋敷でした。

洋館は、17世紀のジャコビアン様式という歴史主義建築建てられ、全体はイギリス・ルネサンス様
洋館南側は列柱の並ぶベランダで、1階列柱はトスカナ式、2階列柱はイオニア式の装飾になっています。

写真は、洋館から少し離れた位置に別棟として建つ 撞球室(ビリヤード場)です。
ジャコビアン様式の洋館とは異なり、スイスの山小屋風の造りとなっています。
全体は木造建築で、校倉造り風の壁、刻みの入った柱、軒を深く差し出した大屋根など、木造ゴシックで
まとめられています。
また、撞球室は、洋館から地下道でつながっていて、地下道には、ガラスのトップライトが設られています。


岩崎邸02


ここの庇下の空間がとても気持ちよさそうです。
天気の良い日など、このベンチに座って、日長葉巻をくねらしたらさぞかし快適でしょう。。。


そういえば、一緒に見に行った 娘に「ここ、龍馬伝に出てくる岩崎さんの家だよ。」と教えたところ
「いいなぁ~~ 私も 階段のあるいえにすみたぁーーい」と、もうしていました。。。。  



現在岩崎邸は、都立公園「旧岩崎邸庭園」になっており、ミニコンサートなども開催されています。
詳しくは、公園協会サイト「庭園へ行こう」 をご覧ください。



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将門塚

将門塚

ようやく記録的な猛暑も終わりが見えてきました。
この夏、まずいと思いつつも、ブログからすっかり遠のいてしまい、
あわてて更新です。。。

千代田区大手町一丁目にある、平将門首塚です。
正面に見えるのは、旧大蔵省が昭和2年に建てた鎮魂碑です。「南無阿弥陀仏」とかかれています。
首塚そのものは、関東大震災で倒壊してしまっています。

「将門記」によりますと、将門は、平安中期、朝廷(京都)に反して下総国で兵を起こし、
板東8カ国(関東一円)を手中に収めて「新皇」を自称し、独自に新政府を樹立しました。

結局は、平貞盛と藤原秀郷に鎮圧されてしまいますが、
この時代、中央朝廷が人民不在の政治を繰り広げ、地方の国司たちも腐敗していたようで、
多くの民が将門によせた期待は極めて大きなものがあったと思われます。
それは、将門は歴史上朝敵と呼ばれながら、関東地方には数多くの伝説と、将門を祀る神社が
あることが証明していると思います。


息子が「将門記」を読んでいたので、「じゃー、首塚見に行くか!?」ということになり
行って来ました。
パワースポット、心霊スポットとしても人気があるようで、思いがけず、多くの人が
お参りをしていました。

ブログを書いているうちに、将門が兵を挙げた状況と、今の政治状況も同じ??
と、思ってしまいました。。。



[SHIN建築事務所]

東京大学 本郷キャンパス

東大_広報センター

文京区本郷、東京大学キャンパス内の広報センターです。
東大の竜岡門横にあります。 大学付属病院の夜間急患受付の目的で、1926年(大正15)
岸田日出刀設計で建てられました。 ゴシック様式を基調としていますが、モダンな建物です。

東京大学といえば、赤門、三四郎池、安田講堂が、一般的に思い浮かぶのではないかと思います。
本郷キャンパスは、江戸時代の加賀藩邸を転用して整備され、赤門は、加賀藩上屋敷の御守門
(国の重要文化財)でした。

三四郎池は、夏目漱石の「三四郎」にちなんでいます。
  熊本から上京した小川三四郎は、団扇を持った里見美禰子と、この三四郎池のほとりで出会います。
  こうして、漱石による日本初の本格的な青春小説が始まるのです。

安田講堂は、正式には「大講堂」といい、安田財閥の創始者 安田善治郎の寄付により、
内田祥三が基本設計、関東大震災による工事中断の後、岸田日出刀が担当し、1925年(大正14)に完成しています。

私は安田講堂といえば、1968年(昭和43)全学共闘会議に占拠され翌年1月に、機動隊により強制排除された
東大闘争をまず思い出します。
機動隊が放水し、学生たちを追いつめていく様子のテレビニュースを、小学生時代の私はどのような思いで
みていたかは記憶にありませんが、テレビに映し出される映像を、食い入るように見ていた記憶はあります。

お話を戻しましょう、安田講堂は時計塔が中央にそびえて、壁面全体に縦線が強調されている建物です。
車寄せ正面入り口には、尖頭アーチがあります。 つまり、近代のゴシック様式で建てられています。
広報センターもそうでしたが、では何故、東大の主要な校舎はゴシック様式で建てられているのでしょうか?
少し、歴史の勉強をしてみましょう。


東京大学は、明治時代に大学南校と大学東校が合併して、1877年(明治10)に設立されました。
先に、東校の系列であった現在の医学部が移転し、木造擬洋風様式の校舎を建てました。
次に、南校の系列であった現在の法学部、文学部、理学部が移転してきました。
文化系(法学部、文学部)は、1884年(明治17)ジョサイヤ・コンドルにより、レンガ造ゴシック様式で建てられました。
理科系(理学部)は、1888年(明治21)山口半六により、レンガ造古典様式で建てられました。
さらにその後、工部大学が統合し帝国大學となり、工学部が辰野金吾が改良型ゴシック様式で校舎を建てました。
こうして、建築様式の見本帳のような状況になっていたのです。
ところが、1923年(大正12)関東大震災がおこり、ほとんどの校舎は焼け落ちてしまいます。

このとき、安田講堂を造りかけていたのが、内田洋三でした。
内田洋三は、工学部建築学科の教授であり、後の東大総長です。
彼は、キャンパス施設を建築することになり、建て直す際出自である工科系の様式、
改良型ゴシック様式に統一していったのでした。
こうして、東大本郷キャンパスの現在の基礎が造られていきました。

ともあれ、歴史が刻み込まれ、人々の記憶に深く留まっているような建物が多いキャンパスです。
出来る限り保存し、使い続けることを期待します。


前出の広報センターは東京都選定歴史的建造物に選ばれています。
 都選定歴史的建造物はこちら



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神殿か獄舎か

神殿か獄舎か (SD選書)神殿か獄舎か (SD選書)
(2007/12)
長谷川 堯

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建築評論家 長谷川堯の代表作です。
1972年に相模書房から出版された本が、SD選書として、再販されました。
大正期の建築を再評価することを通して、昭和モダニズム建築以降の
建築のあり方を問い直しています。

35年経った現在においても、全く古いとは感じず、現代建築について深く考えさせられる内容になっていると思います。
私を含めて、現在、建築の現場に立つ皆さんにとって、足元を見直すいい機会を与えてくれる本です。
また、これから建築の最前線に立つであろう学生の方々にも、是非とも読んでほしい名著です。


「痛切に私は自己の充実の必要を感じます。自己を拡張しなければならないと思ひます。
 徒らに外面的の法則を取捨するともそれは単にXをYに置き替へるに過ぎないものです。
 然るに我々は自己の統一を捨てない限り自己の法則に反して躍進することは出来ません。
 而してこの法則は自己心性の全体の作用から起こるものですから、自己が充実されなけらば
 その法則は確定することは出来ないものです。そうしてその充実は現実を離れた空想的の
 ものではならない、実生活のただ真中に踏み出したものでなければなりません。」

後藤慶二が、上記のように述べています。
みなさん! がんばらなくてはなりませんよー! 


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