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[SHIN建築事務所]

旧岩崎邸

岩崎邸01

台東区池之端にある旧岩崎邸です。
現存する洋館、大広間(かつての和館の一部)など、岩崎財閥3代の岩崎久弥によって、
ジョサイア・コンドルの設計で、1896年(明治29)年に完成しました。
当時の岩崎邸は、15,000坪の敷地に20棟以上の建物があったということですから、
それはもう ものすごいお屋敷でした。

洋館は、17世紀のジャコビアン様式という歴史主義建築建てられ、全体はイギリス・ルネサンス様
洋館南側は列柱の並ぶベランダで、1階列柱はトスカナ式、2階列柱はイオニア式の装飾になっています。

写真は、洋館から少し離れた位置に別棟として建つ 撞球室(ビリヤード場)です。
ジャコビアン様式の洋館とは異なり、スイスの山小屋風の造りとなっています。
全体は木造建築で、校倉造り風の壁、刻みの入った柱、軒を深く差し出した大屋根など、木造ゴシックで
まとめられています。
また、撞球室は、洋館から地下道でつながっていて、地下道には、ガラスのトップライトが設られています。


岩崎邸02


ここの庇下の空間がとても気持ちよさそうです。
天気の良い日など、このベンチに座って、日長葉巻をくねらしたらさぞかし快適でしょう。。。


そういえば、一緒に見に行った 娘に「ここ、龍馬伝に出てくる岩崎さんの家だよ。」と教えたところ
「いいなぁ〜〜 私も 階段のあるいえにすみたぁーーい」と、もうしていました。。。。  



現在岩崎邸は、都立公園「旧岩崎邸庭園」になっており、ミニコンサートなども開催されています。
詳しくは、公園協会サイト「庭園へ行こう」 をご覧ください。



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将門塚

将門塚

ようやく記録的な猛暑も終わりが見えてきました。
この夏、まずいと思いつつも、ブログからすっかり遠のいてしまい、
あわてて更新です。。。

千代田区大手町一丁目にある、平将門首塚です。
正面に見えるのは、旧大蔵省が昭和2年に建てた鎮魂碑です。「南無阿弥陀仏」とかかれています。
首塚そのものは、関東大震災で倒壊してしまっています。

「将門記」によりますと、将門は、平安中期、朝廷(京都)に反して下総国で兵を起こし、
板東8カ国(関東一円)を手中に収めて「新皇」を自称し、独自に新政府を樹立しました。

結局は、平貞盛と藤原秀郷に鎮圧されてしまいますが、
この時代、中央朝廷が人民不在の政治を繰り広げ、地方の国司たちも腐敗していたようで、
多くの民が将門によせた期待は極めて大きなものがあったと思われます。
それは、将門は歴史上朝敵と呼ばれながら、関東地方には数多くの伝説と、将門を祀る神社が
あることが証明していると思います。


息子が「将門記」を読んでいたので、「じゃー、首塚見に行くか!?」ということになり
行って来ました。
パワースポット、心霊スポットとしても人気があるようで、思いがけず、多くの人が
お参りをしていました。

ブログを書いているうちに、将門が兵を挙げた状況と、今の政治状況も同じ??
と、思ってしまいました。。。



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東京大学 本郷キャンパス

東大_広報センター

文京区本郷、東京大学キャンパス内の広報センターです。
東大の竜岡門横にあります。 大学付属病院の夜間急患受付の目的で、1926年(大正15)
岸田日出刀設計で建てられました。 ゴシック様式を基調としていますが、モダンな建物です。

東京大学といえば、赤門、三四郎池、安田講堂が、一般的に思い浮かぶのではないかと思います。
本郷キャンパスは、江戸時代の加賀藩邸を転用して整備され、赤門は、加賀藩上屋敷の御守門
(国の重要文化財)でした。

三四郎池は、夏目漱石の「三四郎」にちなんでいます。
  熊本から上京した小川三四郎は、団扇を持った里見美禰子と、この三四郎池のほとりで出会います。
  こうして、漱石による日本初の本格的な青春小説が始まるのです。

安田講堂は、正式には「大講堂」といい、安田財閥の創始者 安田善治郎の寄付により、
内田祥三が基本設計、関東大震災による工事中断の後、岸田日出刀が担当し、1925年(大正14)に完成しています。

私は安田講堂といえば、1968年(昭和43)全学共闘会議に占拠され翌年1月に、機動隊により強制排除された
東大闘争をまず思い出します。
機動隊が放水し、学生たちを追いつめていく様子のテレビニュースを、小学生時代の私はどのような思いで
みていたかは記憶にありませんが、テレビに映し出される映像を、食い入るように見ていた記憶はあります。

お話を戻しましょう、安田講堂は時計塔が中央にそびえて、壁面全体に縦線が強調されている建物です。
車寄せ正面入り口には、尖頭アーチがあります。 つまり、近代のゴシック様式で建てられています。
広報センターもそうでしたが、では何故、東大の主要な校舎はゴシック様式で建てられているのでしょうか?
少し、歴史の勉強をしてみましょう。


東京大学は、明治時代に大学南校と大学東校が合併して、1877年(明治10)に設立されました。
先に、東校の系列であった現在の医学部が移転し、木造擬洋風様式の校舎を建てました。
次に、南校の系列であった現在の法学部、文学部、理学部が移転してきました。
文化系(法学部、文学部)は、1884年(明治17)ジョサイヤ・コンドルにより、レンガ造ゴシック様式で建てられました。
理科系(理学部)は、1888年(明治21)山口半六により、レンガ造古典様式で建てられました。
さらにその後、工部大学が統合し帝国大學となり、工学部が辰野金吾が改良型ゴシック様式で校舎を建てました。
こうして、建築様式の見本帳のような状況になっていたのです。
ところが、1923年(大正12)関東大震災がおこり、ほとんどの校舎は焼け落ちてしまいます。

このとき、安田講堂を造りかけていたのが、内田洋三でした。
内田洋三は、工学部建築学科の教授であり、後の東大総長です。
彼は、キャンパス施設を建築することになり、建て直す際出自である工科系の様式、
改良型ゴシック様式に統一していったのでした。
こうして、東大本郷キャンパスの現在の基礎が造られていきました。

ともあれ、歴史が刻み込まれ、人々の記憶に深く留まっているような建物が多いキャンパスです。
出来る限り保存し、使い続けることを期待します。


前出の広報センターは東京都選定歴史的建造物に選ばれています。
 都選定歴史的建造物はこちら



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神殿か獄舎か

神殿か獄舎か (SD選書)神殿か獄舎か (SD選書)
(2007/12)
長谷川 堯

商品詳細を見る

建築評論家 長谷川堯の代表作です。
1972年に相模書房から出版された本が、SD選書として、再販されました。
大正期の建築を再評価することを通して、昭和モダニズム建築以降の
建築のあり方を問い直しています。

35年経った現在においても、全く古いとは感じず、現代建築について深く考えさせられる内容になっていると思います。
私を含めて、現在、建築の現場に立つ皆さんにとって、足元を見直すいい機会を与えてくれる本です。
また、これから建築の最前線に立つであろう学生の方々にも、是非とも読んでほしい名著です。


「痛切に私は自己の充実の必要を感じます。自己を拡張しなければならないと思ひます。
 徒らに外面的の法則を取捨するともそれは単にXをYに置き替へるに過ぎないものです。
 然るに我々は自己の統一を捨てない限り自己の法則に反して躍進することは出来ません。
 而してこの法則は自己心性の全体の作用から起こるものですから、自己が充実されなけらば
 その法則は確定することは出来ないものです。そうしてその充実は現実を離れた空想的の
 ものではならない、実生活のただ真中に踏み出したものでなければなりません。」

後藤慶二が、上記のように述べています。
みなさん! がんばらなくてはなりませんよー! 


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歌舞伎座

歌舞伎座夜景

先日、歌舞伎座さよなら公演を観てきました。
歌舞伎座は、中央区銀座4丁目にあり、伝統芸能 歌舞伎の殿堂として多くの人々に親しまれています。

大正13年に竣工した建物で、空襲により被災しましたが、昭和25年戦災復興工事により改修され、現在に至っています。
鉄筋コンクリートで造られていますが、いくつかの時代様式を上手く取り入れ、伝統的な和風意匠でまとめられています。
特に正面、唐破風の車寄せは迫力がありますね。
改修時の躯体補強等により、内部天井等は低く、内部は手狭な感じがします。
また、歌舞伎座の後ろ側にまわってみますと、劇場としてのスペース不足、設備不足は外観上も充分見て取れます。
演じる側にとっては、少なからず使いにくい部分はあるのだろうなぁと感じます。
しかし、だからといって、壊して建て直せばよいのでしょうか?

明治後半〜大正期に活躍した建築家 後藤慶二に劇場について以下のようなことばがあります
「劇場の目的は二つある。第一が演劇を見ること、第二が劇を演ずることであります。
 私は観ることを第一の目的に挙げました。演劇が美なのは劇が美なのではない。
 見る人の気持ちが美なのであります。 演劇を観た時に見ない前の気分と別な気分になれば、
 それで演劇の目的は達せられたので、演ずるのはこの目的を達するための手段に外ならない。
 目的を遂行するために手段を選ぶことは無論肝要でありますから、劇と云ふものに取って之を
 演ずるものは一番重要な仕事に違いないが、其目的を追求すれば観ることに帰結する。
 即ち会社が事務をとる目的の上に立って居るのに反し、劇場は観照の目的の上に立って居るのと
 云ふ所以であります。」 (長谷川堯著 「都市廻廊」より)
 

ですから、この土地、この場所に建てられ、劇場としても建築としても、人々の記憶に深く留まっているような
歌舞伎座を一企業の都合で壊すことは、歌舞伎という演劇界にとっても、また街の記憶という観点からも
許されないことではなかったかと考えます。

歌舞伎座建替えの計画が発表されると、日本建築学会等から保存要望が出され、保存要望運動も起きましたが、
すでに解体が事業決定されました。
そして、ついに歌舞伎座最後の日が来てしまいました。


詳しくは、建築学会の要望書(歌舞伎座の建築史的価値解説付き)等をご覧ください。
 建築学会、歌舞伎座の保存に関する要望書はこちら
 要望書に対する、株式会社歌舞伎座の回答はこちら

また、建替え計画案は、発表されております。
 発表された、歌舞伎座建替え計画案はこちら

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宇治山田駅

宇治山田駅

三重県伊勢市の近畿日本鉄道山田線の宇治山田駅です。
1931年、伊勢神宮最寄りのターミナル駅として開設されました。
鉄筋コンクリート、幅120mの堂々とした外観は全面クリーム色のテラコッタで装飾され
優れた昭和初期の建物です。  設計は、久野節になります。

久野節は、東部鉄道浅草浅草雷門駅(現 浅草駅)の設計者でもあります。
浅草駅(1931年竣工)は、、その後改修され、松屋浅草店がテナントとして入っていますが
建物自体は、その当時のままで、花川戸一丁目のほうから見上げると、竣工当時に姿が
今でも忍ばれます。

宇治山田駅は、2001年に、国の登録有形文化財(建造物)に指定されました。

登録有形文化財(建造物)の詳細は、国指定文化財等データベースをご覧ください。
 国指定文化財等データベースへ


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千鳥ヶ淵桜

春です!
桜です!

千代田区千鳥ヶ淵です
花いかだ、綺麗ですねー


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